1950-10-31 第8回国会 衆議院 海外同胞引揚に関する特別委員会 第11号
当時家族が病気をしておりましたから、それをたてに帰りたかつたのでありますが、それも不可能で、家族を置いて二十二年の四月二十五日に山東省の烟台に上陸しまして、そこに約一月おりました。当時岡村将軍が北上中でありまして、とかく中共軍の勢いが悪くて、目的の博山炭鉱に入城することができない。そこで所々に一月ほど待機しておりましたが、とうとう力及ばず、八月に全面的に山東省放棄ということになつた。
当時家族が病気をしておりましたから、それをたてに帰りたかつたのでありますが、それも不可能で、家族を置いて二十二年の四月二十五日に山東省の烟台に上陸しまして、そこに約一月おりました。当時岡村将軍が北上中でありまして、とかく中共軍の勢いが悪くて、目的の博山炭鉱に入城することができない。そこで所々に一月ほど待機しておりましたが、とうとう力及ばず、八月に全面的に山東省放棄ということになつた。
それから大連から烟台に上陸、二十一年の九月に山東省臨沂に到着した。そこに山東新華書店第三廠という工廠があつた。ちよつと拔けているところがありました。この書店に行つた人員は女、子供全部で二十五人です。途中一箇月かかつて行つたところが、人間は着いたけれども、かんじんの機械が着かぬために、今度は人間の分班ということになつて、ある機関々々にみんなまわされました。それから二十二年の二月臨漸に移動しました。